※受け(藤堂)がビッチです。微エロ。


 それは違うと知っていることは
 正解を知っているのとは違うのだ


   035:歪んだ世界と罅割れた感情

 年齢にとうが立つと思っていた。思った以上に柔軟な路地裏は藤堂の年齢さえ許容した。シャツの釦はほとんどが散らばって闇へ消えた。真っ当ではない場所で真っ当ではない交渉に耽る男にいたわりや優しさはない。切り裂かれたりしないだけ上等だ。歴戦の肩書を裏付ける体中の傷は何度も好奇の視線にさらされて固い爪先で抉られた。命令がひとつ終わるたびに藤堂は路地裏へ吸い寄せられる。初めて踏み入れたときのそれは自発的なものではなかった。男はわざと路地裏を指定して藤堂にそこのルールを慄えるほど染み込ませた上でいつもの様に乱暴に抱き、藤堂を放置して去った。次に顔を合わせた時に表情に変化が起きなかったのは男よりも藤堂自身の側の事情によった。男が藤堂を愉しむ手口はつねづね酷なものへ傾倒していくばかりだ。まだ底辺があったのだと藤堂が知らぬだけだった。
 たぶん終わってもいいと思っている。戦地へ赴くのと気構えは似た。侵略と陵辱の果てに、それでも相手のこぼす一言に思いとどまる。体が保つわけもないと判っていても気がつけば街路をうろついた。身の安全に対して極端に消極的だ。男は藤堂を抱くたびに全てを叩き割りへし折って地に額ずかせる。藤堂が守りたい素振りを見せるだけで徹底的な破滅を見た。守るものや鎧うものがなくなった体の行き場が真っ当なわけもない。
 「だから、なんであんたがここにいるンだよ」
目の前で憤る表情を茫洋と見据える。縹藍の黒髪と小振りな茶水晶。丈は藤堂よりあるが力強さは藤堂のほうが上に見えるだろう。飄然としたなりはそのまま彼の性質だ。地べたへ座り込んでいる藤堂の視界の光源は乏しく表情は薄暗がりにもやもやとした。丈や袖を見れば彼の体躯と服の大きさがあっていないのだろうことが感じられた。激しい着崩しで一見してそうとは知れない。彼が体を揺するたびにベルトの金具が金属的な煌めきを震わせる。
「卜部、なぜ」
「何故は俺の台詞だ。ちょくちょくいねェと思ったらなにをしてンだ」
藤堂は泥で汚れたシャツを羽織った。留めるべき釦はとうにない。ため息と一緒に口の中へ苦味が広がる。可能な限りの場所から注がれた白濁は逆流して藤堂の衣服や体を汚す。路地裏の地べたは黴臭く湿った。その泥濘へ指先を埋めて藤堂は身動きせずにいたのだ。気がついたら卜部が目の前に立っていた。
 卜部は手慣れた様子と流儀にのっとった衣服であり、唐突に紛れ込んだとも思えない。屈みこむ際に背中を丸めるのが顕著なのは卜部の背丈が高いからだ。房になって垂れる藤堂の鳶色の髪を梳いた。固くて手入れもさほどしない髪だ。時間が作れなくなれば自分で落とすほどぞんざいなそれを卜部の指は整えるように撫でた。卜部は雄弁なほど辛辣だ。面白い性質だと思った。卜部の口からは痛烈な皮肉や辛辣な評価しか聞かない。言葉少なな時のほうが仕草が優しい。だがそうした藤堂の感想と周りとの認識は連動しない。簡単に悟らせるほど卜部の虚は浅くなかったことに口元が弛んだ。
 過酷な戦闘や環境に皮膚は灼け髪は傷む。藤堂の灰蒼の双眸は交渉相手から頻繁に持ちかけられた話題だ。蒼味がかった灰色は膨張する灰白とは違って際立つらしい。藤堂に自覚はない。見慣れているからなんとも思わぬ。日本人として髪色も黒ではないし多少遺伝のずれがあっても驚かない。両親もとうに亡いから確かめることも出来ないし興味もない。藤堂の中にあるのはたちの悪い従順だけだ。やれと言われればなんでもしたしそれを撤回する気もない。浴びる体液の色も行為の意味も問わない。あんたもう少し相手を選べよ。声音からは同情しかわからない。選べるほどの権限が自分にあるなど思ってもみなかった。
「えらべ、とは」
喉が攣ってかすれた。胃の腑へ注がれた白濁は粘度が高くいつまでも口腔へとどまる。あんたの評価はなんでそんなに低いンだよ。卜部の指先が頬へ触れる。藤堂は必要があれば落涙もする。乱暴に強いられるうちにやり過ごすための技術として覚えた。泣き顔を見せる程度ではすまないことばかり強要される。
「あんたぐらいならもっと上等な客が取れるだろ」
藤堂を抱く男たちとの関係は明確な上下でしかない。藤堂から乞うたところで結果は伴わないし様々な後始末ばかり増える。
「きゃくを、とる?」
頭が傾ぐ。肩をすくめたように見えても身動いだだけだ。弛んだ口元と眇めた双眸は卜部の怒りを期待した。
 「私は客をとったことはないが」
玩具が使用者を選別できるのか? 藤堂の体躯はねじ伏せられるためにあり藤堂の気構えや心持ちは踏みにじられるためにある。清々と言ってのけると卜部の右手が震えた。平手や拳を覚悟したが気持ちとして構えるだけで卜部の手を押さえつけるようなこともしない。いつまで待っても打擲されない。
「卜部?」
気が済むなら殴れ。どうせ慣れている。藤堂の所属位置での戦闘は多岐にわたる。戦闘機越しではなく温んだ人間を相手に白兵戦を展開することもある。体液はしみると落ちないということだけよく判った。
「殴って済むならそうするけどな」
意見が割れると多数決に結論を投げることの多い卜部にしては含みのある返答だ。往々にして自己主張の強い面子の中で卜部の印象は時におぼろげだ。お前は手を出すのが早いと聞いているが。あの眼鏡相手なら早いけどな。あんたなんか殴らねェよ、反応がねェンだから。殴られれば痛いが。そうじゃなくて。ぶん殴ったところであんたは自分の行動を変えたりしないって言ってんだよ。
「お前こそずいぶんここに馴染んでいる」
「変なとこばっかり気づくんだな、あんた」
藤堂が目を伏せる。後始末を考えると頭がいたい。体裁を保つふりぐらいはしなければならない事情がある。このままねぐらへ帰り着いて藤堂の評価が地に落ちても構わないが、それを知ってなにがしかの行動を起こしかねない男がいる。額から頬骨まで走る傷跡と眼鏡が特徴的な彼は、理知的ななりに反して激情家だ。
 唐突に頤を掴まれ上向いたところへ固いものが突っ込まれた。同時に冷たく涼やかな流動体が流れ込んでくる。むせて咳き込み、吐き出させるのを卜部が強引に繰り返した。軽度の呼吸の障害に肩を上下させて喘ぐ。元からひどいなりであれば吐き出したもので腹が汚れるなど大したことではない。放り出されたボトルを見れば飲料水だ。口の中すっきりしたか。ずるずるとすべる背中を必死に押し上げる。
「あんたはずいぶん極端なんだな」
卜部の声色には呆れや揶揄が含まれた。藤堂に取り繕う気がない。これを発端にして崩壊を迎えても構わない。卜部が引き寄せてよこしたのは藤堂の着衣だ。軍服は支給品であるからねぐらへおいてきた。破損や新調の場合の申請手続きが面倒だった。路地裏で身分が判るような制服を着るものはいない。標的にされる危険が増すだけだ。卜部と藤堂は所属で上司部下の関係にあっても、そこを慮って卜部は敬語を省く。
 藤堂は重たい四肢を繰って衣服を着た。少し休んでいたためか体が秩序を取り戻しつつある。藤堂が立ち上がる瞬間を狙った卜部の手が不意に皮膚もあらわな場所へ触れる。温もりが行為の発熱で火照る体に埋まってしまう。そのまま境界を犯して体内をかき混ぜられても不思議に思えないほど同化する。足元がふらつく体躯はゆるやかに押されて壁へ仰け反るようにはりついた。腰骨の尖りを無造作に掴まれる。その手が撫でるように移動して腰部を往復する。藤堂はされるままになって息を潜める。啼けと言われれば啼くのは特に指示がなければ啼かないことに通じた。それが相手の不興や増長を買うと判っても反射的な声をこらえてしまうからどうしようもなかった。
 あんたは堪えるから厄介だな。堪えきれなくなって壊れちまえばひどくされねぇのにな。うそぶく卜部の言葉は自嘲じみる。私を抱くのか。金を払えってか? いらないが。即答に卜部は猫のように喉を震わせて笑った。鼻先が触れるほど近づいた卜部の表情は滲んで見えない。焦点が合わなかった。ときおり触れる唇の動きで言葉や気配を読む。なぁ、ここじゃあ年齢とか背丈なんて何の保障にもならないんだぜ、知ってるか。喧嘩が強いのとか上背があるのとか、そういうの狙うやつなんかごまんといるぜ。唇が重なる。頭部を固定するように抑えられて抵抗の余地がない。だらりと垂れた腕はわずかに震えたが力も入らない。漫然とした疲労が手脚に絡みつく。
「寝るな。面倒見れないぜ」
いつついたのかも判らない古傷を抉られた。溝になっているそこは皮膚や筋肉が薄く過敏だ。痛みに腕や指が弾かれたように痙攣した。
 鋭敏過ぎる感覚はそれゆえにすでに麻痺している。唇が重ねられた後の手順を思い出してその熱量に倦んだ。耳をくすぐってから卜部の手が喉や腹など骨の守りが薄い場所ばかり圧してくる。絡んだ舌が離れると透明な糸がつながって切れる。脚の間を握りこまれても眉さえ動かない。潰さんばかりに踏みつけられることも多い。相手は藤堂の表情を歪ませたくてやるのだ。快楽に歪むか苦痛に歪むかの選択は手間や時間の問題だ。気に入らなければすぐさま暴力として発露した。抵抗する選択肢はない。卜部の表情にも藤堂のそれにも変化がない。世間ずれの方向がどうやら噛み合わない。藤堂は自分の視野の狭さを知っているから不満や文句もない。そも、違うと指摘するべき基準がわからない。卜部の手は執拗に喉を狙う。藤堂の方でも咎めない。喉仏の突起を転がされて押される。気道の塞ぐ苦しさに眉を寄せると卜部の表情が弛んだ。あんたでもそういう顔をするンだな。…どこかで聞いたようなことを言う。だから相手は選べって言っただろ。
 唐突な口づけは反して優しく触れるだけだ。歯列もぶつからない。柔らかい感触のじんわりとした侵蝕を感じた。未通女みたいな顔をするなよ。反応しきれない藤堂を放って卜部がひょいと腋下から腕を回す。そのまま肩を担がれて引っ張られる。卜部のほうが丈があるので危なっかしく後を追った。
「このまま帰したのがバレたら俺の身の安全が危ういんだよ」
似たような建物や景色の中を惑いも躊躇もせずに歩いて行く卜部はなんだか猫に似ていた。


 行き着いた場所への道のりを藤堂は覚えられない。強すぎる照明と月の淡い光との明滅で視界が眩む。足を踏みしめて歩いてもいないから余計に意識が連動しなかった。屋根のある場所を出入りしたと思ったら不意に放り出された先に寝台があった。卜部は無造作に指を指しては浴室やサニタリースペースの説明をする。調節は面倒くさいから判らなかったら訊いてくださいよ。まだ給水は止まってないはずなんで。ひと通りの説明をぼんやり聞いたが藤堂は立ち尽くすしかない。ここからねぐらへ帰れと言われても無理だなということくらいしか判らない。焦れた卜部が藤堂の手を引っ張って浴室へ叩き込む。そこの把手をひねれば。卜部が複雑な手順を説明する。取り替えるような温室育ちじゃねぇんで旧式のままなんですよ。卜部が体を退いたので藤堂が聞いたばかりの手順を忠実に再現した。降り注ぐシャワーの温度も圧も問題ないと思った。卜部が手をくぐらせて温度を確かめる。石鹸しかねぇけど使いたかったらどうぞ。卜部は燕のように身を翻して出て行く。藤堂は服ごとシャワーに打たれていることに気づいたがどうしようもない。洗えないかと思って脱ぐ。濡れた服は脱ぎづらい。足元へビシャビシャ落ちる着衣は透けたり黒ずんだりした。泡立てた石鹸で体を洗う。泡へ時折朱が混ざるのを藤堂は無感動に目で追った。麻痺した触覚では傷の深さどころか位置さえも曖昧だ。
 ずぶ濡れの状態で呆ける。水流を止めると微温い滴が垂れる。がらりと開く音に顔を向ける前に頭から乾いたタオルを被せられた。それで体や髪を拭う。一連の動きをなぞるためにしただけでおざなりだ。同じような着替えが用意されていた。既成品とか大量生産品て言うのは替えがきいていいよな。癇に障るような口調にするのは卜部が故意にそうしようとしているからだ。藤堂は返事もせずに着た。してはならぬなら止めるだろうと踏んでいる。泥や汚れを落としてさっぱりした藤堂はそのまま寝台へ導かれる。椅子がひとつしかないから布地の膨らみがある寝台へやられたのだと遅ればせながら気づいた。硝子壜を放られた。印字されたラベルを見れば飲料水だ。酒でもやりたいですがね。卜部も同じものを口へ運んでいる。
 ずいぶんと、慣れている。ぽつりとこぼした言葉に卜部は焦りもしない。拾われてばっかりでしたから。拾うのも初めてじゃないし。カモられたこともあるし。同情して部屋にあげたら金目のものと一緒にドロンですよ。
「あんたはそういうタイプじゃないな」
卜部が微笑む。嘲りでも憐憫でもなくただかすかな可笑しみを含んだ笑みだった。
「あんたくらいの位置にいるなら多少のことで揺らぐなよ。上がりこむくらいの図々しさくらい備えといてくれ」
「ここはどこだ」
「俺のナワバリ」
部屋は簡素だ。質素というより最低限の調度しかない。飾り気もないし住人が入れ替わっても違和感がない。棲むものの色や味や癖がない。来る道順なんか覚えたって無駄ですよ。目印が左右で違う時だってあるんだし。藤堂が目を瞬かせて卜部を見た。よくもまあたどり着けるものだと思う。藤堂の表情に卜部は可笑しそうに震える笑いを漏らす。あんたさ、この界隈に来て日が浅いだろ。あることも知らなかった。とんだ強運だぜ。卜部はそれ以上の説明をしない。藤堂でも訊かなかった。卜部は意外と芯が強くて決めたら言わない。はぐらかされるのがオチだ。不必要な補足を増やすよりは素のままの情報がある方がいい。金属製の蓋はひねればすぐに取れた。中の水が温い。突き刺す冷たさがないが体へ馴染んだ。
 卜部は器用に調度の縁を使って栓を開ける。片手でこなす動きによどみはなくもたつかない。最近はさ、飲み物も箱で仕入れやがるからくすねにくくて仕方ないよな。瓶は箱詰めしづらいだろ。ちょっとした悪さを語る以外の意味は無い。粋がるでも僻むでもなく当たり前のように話す。
「ここで飼われたら楽かな」
卜部の痙攣的な笑いがつんざいた。ひらひらと揺れる手は大きい。馬鹿言うなよ。
「ここで飼われるくらいなら野良になったほうがよっぽどマシな飯が食えるぜ」
あんたにはちゃんと家があるだろ。家族はないって言ったけどあんたを待つ奴がちゃんといるだろ。交わし合う目線が互いに同じ面影を結ぶ。緑青の髪は翠の黒髪。幼いようなあどけない顔を縦につらぬく傷は経験値の深さを匂わせる。丈は少し小柄で力押しも得意ではない。力押しではない分類では卜部と同じだが方向性は微妙に違う。あさ、ひな。判ってンならいいですけど。
「お前とは年は大して変わらないのにな」
「そうだっけ」
こぼした言葉を卜部がかわす。飲みくちを舐めるのはごまかしたいからだ。目線が移ろわないだけの手練でありながら悪くなりきれない人の好さがある。
 「うらべ」
手を伸ばすと卜部が椅子から立ち上がる。手首を取った。骨ばったそれの細さも太さも意外だ。想像と違うものに怯む。痩せた腰へ腕を回す。力を入れたら骨を損なえそうだと思った。卜部も軍属として鍛錬をしていないわけではない。藤堂ごときの力でへし折れるような脆弱ではないと思うのに、もしやと思わせる存在感の軽さがある。卜部の軽薄は同時に淡白だ。触れていないと消えそうだ。痩せた腹部へ頬をつけながら藤堂の手はゆるやかに這いまわる。脚の間をかすめたりくぐったりしても卜部は驚きもしない。藤堂は寝台から下りて床へ膝をつくと脚の間へ顔を寄せた。そのまま口へ含むのを卜部は好きにさせる。…あんた、こういうこと好きなのかよ。これしか知らない。軍属においては通常の人付き合いとは方向や深度が違う。特殊な環境に慣れた上にもともと順応性が高いわけでもない。無骨だの精悍だのという褒め言葉はただとっつきにくいのを良い方向へ解釈してくれているという自覚がある。
 吐き出して筋を舌先でなぞる。尖らせた舌のすべりに卜部の息がわずかに乱れて藤堂は悦ぶように先端を咥える。男を愛撫するのは慣れている。藤堂の手順などまったく無視する相手も少なくない。強引な開始と終了に藤堂が慌てふためくのを冷笑する。手が耳や頬のあたりを押さえる。傷むような辛いような悦ぶような色に卜部の表情は揺蕩う。
「いいんだな?」
藤堂は制止を振り切って卜部の唇へ吸い付くと、バランスを崩した勢いのままで寝台へ倒れこんだ。長い手脚が絡み薄皮の剥けるように服が散らばる。眇めた藤堂の灰蒼は欲情に潤んで瞬く。眼球いっぱいまで広がるような色合いは獣じみた。切れ切れの口元が嬌声と媚びと虚ろを吐き出す。卜部はその一つ一つに応えるように指を這わせ唇を重ねてくる。藤堂の嗜好はやり場のない癇症にしびれて眩んだ。


痛いのを痛いのだと識るのは存外難しいものであると
もうなにもわからない


《了》

書きだした当初の勢いまでなくしてもう何が何やら          2014年9月19日UP

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